袴田事件入門第1章 「こがね味噌強盗殺人事件」と「袴田事件」
第2章 袴田事件裁判の現段階 (刑事裁判とは)
第3章 袴田事件、捜査の暗闇 (自白の強要と証拠の偽造)
第4章 マスコミの犯罪 (冤罪を煽る新聞、テレビ等の報道)

第1章 「こがね味噌強盗殺人事件」と「袴田事件」

こがね味噌強盗殺人事件

事件は、1966年6月30日に静岡県清水市(現静岡市清水区)で発生した殺人・放火事件です。こがね味噌という味噌製造会社の専務、橋本藤雄さんの一家四人が殺され、さらに放火されるという惨劇でした。
現場は、東海道線清水駅から興津駅の中間地点、清水駅から約3キロ。昔ながらの家並みが続いているところ。橋本さん宅は、両隣とはわずか30センチくらいの隙間で、ほとんど接していました。隣りの土間の下駄ばきの足音がよく聞こえるほどです。隣りの小川さんは、その夜午前1時35分から40分の間、小用をしようと起きた時、材木の倒れるような音、ドシン、ガラガラという音を聞いています。それ以外は、その夜、両隣の住人は悲鳴や犯行時の物音を聞いていないのです。不思議なことです。
30日はこがね味噌の給料支給日で、橋本家にはおよそ200万円以上の現金や預金通帳がありました。その大金は手つかずに残され、実際に盗まれたとみられるのは、たった8万円。これも謎です。

小川さんとは反対側の隣家に住む杉山さんは、1時47分から50分頃、二回の布団部屋の窓から煙が侵入してきたのを発見、火事を直感して外に出ました。消防団のサイレンが鳴りだし、近所の農家市川さんが清水警察署に通報したのが2時10分頃、鎮火したのが、2時半頃でした。焼け跡からは焼け焦げた死体が4体発見されました。死体解剖から凶悪な殺人・放火事件と断定されたのです。主人の藤雄さん(41才)には計15か所の刺し傷、切り傷、全身に火傷、死因は失血によるものと推定されました。妻のちえ子さん(38才)は背中などに6か所の刺し傷、切り傷、死因は出血と火傷。次女の扶示子さん(17歳)は9カ所の刺し傷と全身の火傷、死因は心臓刺し傷による出血と一酸化炭素中毒。長男の雅一郎さん(14才)は11カ所の傷と全身火傷、死因は胸部を刺された傷からの出血でした。また、現場には、強いガソリン臭が残っていて、目をそむけたくなるほどのむごたらしい事件だったのです。
両隣の人達にも気づかれることなく、一度に家族四人を残虐な方法で殺傷し、さらには証拠を残さないようにしたためか放火。短時間にこれだけのことを手際よくやってのけたのです。犯人は単独ではなく複数、しかも修羅場になれた殺しのプロ集団の犯行としか思えません。怨恨、見せしめなどの動機が想定される事件でした。

袴田事件

事件後、当初は警察は「単独犯か複数犯か」「内部の犯行か外部の犯行か」「物取りか怨恨か」、皆目見当がつきませんでした。犯人を捜しあぐね、ついに従業員の袴田巖さんに白羽の矢を立てたのです。従業員は全員が地元の出身で袴田さんは浜松から来たよそ者。そして、袴田さんは元プロボクサーだったことで、「ボクサー崩れ」と蔑視、不良扱いされたのでした。「ムラ社会の差別意識」そのものです。白羽(生贄)の矢が袴田さんに立てられ逮捕されました。静岡県警察は、「袴田さんが犯人である」と信じろ、その信念を持てとの号令一下、袴田さんを犯人に仕立て上げるための無茶苦茶な捜査を始めたのです。まるで前近代のドラマで、黄門さまを呼んでこなくてはならないような事件です。信じ難いことですが、事実です。
犯人探しは、犯人と思しき人に対して「真犯人かもしれないが、そうでない場合もありうる」という両方の視点から調べるのが当たり前。最初から犯人と決めつけてそのための証拠や証言を求めてまわるだけだと、偏見と独善が暴走するのが常です。その結果、無実の人に濡れ衣を着せて罪に陥れるばかりか、真犯人を取り逃がしてしまうという取り返しのつかない失態を招くのです。
静岡地検は、強盗殺人・放火事件の犯人として袴田さんを起訴。犯人とされた袴田巖さんは、警察の拷問に近い脅迫的な自白の強要(取り調べといわれています)によって犯行を認める自白をさせられましたものの、公判廷では無実を訴えてきました。
裁判では1968年9月11日静岡地裁が死刑判決を出しました。1976年5月18日 東京高裁が控訴を棄却。1980年12月12日、最高裁判所で死刑が確定しました。
死刑確定後も袴田さんは冤罪を訴えて、再審請求を繰り返してきました。ついに2014年3月27日、静岡地裁において死刑及び拘置の即日執行停止並びに裁判の再審を命じる歴史的決定が出されたのです。しかし、検察側は再審決定の棄却を求めて即時抗告、東京高裁で審理中。3年半の年月がさらに経過。事件発生から半世紀を費やしても、未だに解決していない事件です。

二つの事件

この事件は、本来であれば「こがね味噌強盗殺人・放火事件」という名称になります。が、「袴田事件」と言うのは、それとは別の冤罪事件のこと。実は、事件は二つあるのです。ひとつは、凄惨極まりないこがね味噌強盗殺人・放火事件です。被害者は、橋本さん一家の四人。これは捜査当局の失策で真犯人を取り逃がし、未解決のままもう時効です。
もう一つの事件が袴田事件。これは捜査機関の過失、過誤などというものではなく、権力の乱用であり国家権力が暴走した末の国家の犯罪です。警察、検察が罪なき市民を犯人に仕立て上げ罪を負わせるために、拷問による自白の強要、証拠の偽造や隠ぺいを平然と押し通しました。公務員による重大な人権侵害です。被害者は、袴田巖さん。事件はまだ続いています。裁判所によって再審無罪の決定が出され、袴田巖さんの名誉が回復され、国家による賠償が実行されるまで続きます。それでも、袴田巖さんに刻まれた傷跡を消すことはできないのですが。

袴田事件のようなえん罪事件では、無実の人を犯人に仕立て上げ刑罰を与えます。それは筆舌に尽くしがたい残酷さで冤罪被害者に襲いかかるのですが、もうひとつ、重大な問題が残されるのです。それは、真犯人を逃してしまっているということです。えん罪事件とは、二重の悲劇なのです

第2章 袴田事件裁判の現段階 (刑事裁判とは)

犯罪を起こした疑いのある人が本当に犯罪を行ったのか(有罪か無罪か)、もし行ったとしたのならどの程度の刑罰を与えるのか(懲役何年や罰金何十万円など)、などを決めるのが刑事裁判といわれています。

法律と証拠と良心

①罪刑法定主義
「法律なければ犯罪なし」「法律なければ刑罰なし」
②法に基づく適正手続きの保障dueprocessoflaw
・日本国憲法第31条何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられません。
・公権力を手続的に拘束することで人権を保障しようという考え方
例えば、公権力が国民に対して刑罰その他の不利益を科す場合、当事者にあらかじめその内容を告知し当事者に弁解と防御の機会を与えなければならない、というルールがあります。
③自由心証主義.
・事実認定・証拠評価について裁判官の自由な判断に委ねること
・自由心証主義といっても、刑事訴訟法には一定の合理的枠組みを据え付け、裁判の適正を担保する諸制度があります
証拠能力の有無-違法な手続で収集された証拠には、証拠能力を認めません
自白に関する補強法則-すなわち、自白が唯一の証拠である場合には、有罪としてはならないという規定(憲法38条3項、刑事訴訟法319条2項)

推定無罪の原則と合理的疑問

裁判は、裁判官が真犯人を探し出す場所ではありません。
裁判官の判決は、有罪あるいは有罪ではない(guilty or not guiity)の二者択一であり、無実であるかどうかではありません。無罪と無実とは同義ではなく、無罪を宣告されても無実とは限りませんし、無実だから無罪になるとは言えないのです。裁判官は、検察官の捜査が適法であったか、法廷に提出された証拠が適法に収集されていたか、先ずはその点を判断します。次に、その証拠の証明力に合理的な疑問をさしはさむ余地があるかないか、それだけを判断するのです。違法な捜査やそれによる証拠があれば、あるいは、証拠に合理的な疑問があれば、裁判官は被告を無罪としなければなりません。結論を出す際に一つでも合理的に考えて疑問が残る場合は、有罪ではない(not guilty)と判断するのです。要するにグレーの場合は、無罪としなければならないのです。疑わしきは被告人の利益に。これが無罪推定の原則といわれているものです。
あなたが刑事訴追されたとしても、訴追側の証明、証拠が適法であり、なおかつ合理的疑問を残さない程度に十分でない限り、有罪とされ、生命、自由、財産が奪われることは決してないのです。

歴史を振り返れば、人々は疑わしいというだけで有罪を宣告され過酷な刑罰を受忍してきました。また、自白のみでの有罪宣告があったときもあり、被告の人権を保護することは全く考慮されることがなかったのです。水戸黄門や大岡越前は人々の願望が運んできた絵空事。その夥しい犠牲の上に、人類がようやく到達した実効的な知恵がこの「疑わしきは罰せず」の原則です。そして罪刑法定主義と適正手続きのチェック、これによって刑事司法に初めて人間の尊厳が尊ばれ正義が貫かれることを可能とする時代になったのです。

犯罪の捜査は検察官のみの仕事であり、検察に立証責任があります。裁判官は捜査に関わることはなく、白紙の状態で公判に向かうのです。正義の女神(LadyJustice)は、目隠しをしています。予断を排するためです。被告とその弁護人は、検察官の捜査や証拠に疑問や矛盾を指摘して被告人の人権を防御します。これが各位の役割ですが、問題は検察官の力が強大に過ぎることです。検察は国家予算を使うので資金は潤沢。強制捜査をする権限が与えられ、多くの人員と装備を所持しています。だから、恣意的で強引なことも可能。捜査権を濫用し、しばしば暴走してきたのです。今でも権力は暴れて新聞報道を賑わしているのはご承知のとおりです。
これでは裁判に公平さを確保できません。被告にとっては致命的に不利。人間としての権利や尊厳を護れません。そこで強大な検察(訴追側)にルールで対抗するために、推定無罪の原則が立ち上がったのです。

すなわち、裁判のスタート時点では、被告は無罪の状態を保障されます。裁判の天秤は最初から被告側に完全に傾いている状態から出発するのです。推定無罪です。検察はその天秤に証拠という分銅を載せていき、天秤を検察側(有罪側)に傾けることに必死になるのです。証言や証拠を総動員して傾きを逆転させることに完璧でなければなりません。検察は、半端な証明ではなく合理的疑いを超える100%のレベルまで立証責任を負うのです。裁判官は検察官の主張に完全に納得がいけば有罪判決、少しでも合理的な疑問が残ればノットギルティ(有罪ではない=無罪)としなければなりません。弁護側は、無罪を証明する義務はありません。捜査は検察の義務であり、弁護側も裁判官も捜査に協力する必要はない。というより、捜査に手を染めてはならないのです。
事件について白紙状態の裁判官を、検察側と弁護側が法律と証拠によって説得する争いが裁判にほかなりません。その手続き上のリーダーシップは裁判官の手中にあります。こうして、絶大な権力を持つ検察官と何の権力も与えられていない被告という両当事者が、初めて対等にわたりあえる条件が裁判に与えられたわけです。
ただし、これは被告が無罪を主張している場合であって、罪を認めている場合は別です。

このような司法制度は、元々はイギリス、アメリカのものですが、今では全世界的な標準として運営されています。日本の刑事司法も同じ考え方、同じシステムで構築されているのですが、日本の裁判官は、推定無罪の原則、合理的な疑いを基準とした判断の原則に忠実なのでしょうか。残念ながら、単なる建て前でしかない場合が多いのです。このような裁判官の見解が代表しています。

「判断過程において信用性の存否を判断する基準は、ひとえに刑事裁判官に求められている『疑わしきは罰せず』の行為規範のみということができる」。けれども「他方において、刑事裁判官としては、安易に右の行為規範にのみ寄りかかって真の犯人を見逃してはならないとの命題も課されているわけで」、「事件の大局的見地からバランスの良い結論といえるかが問われている」。「個々に内在する疑問のある証拠関係からその疑問を消去する手法を用い、観念的に合理的疑いを消し去って大局的見地に見合った事実認定を行うことになる」。「かかる手法が刑事裁判に持ち込まれてもよいとは到底是認できるものではないが、従来の刑事裁判一般に、このような手法が行われていたことも否定できない」。(東京地裁平成8年3月19日、有罪判決をした裁判官を被告として国家賠償を求めた裁判の判決の一部)

しかし、2014年の静岡地裁での再審開始決定は、この進歩的な考え方に貫かれていました。日本の裁判官も捨てたものではないことが実証されました。検察の提出した証拠を「捏造の可能性が高い」とまで指摘して退け、再審開始を決定するに止まらず、死刑の執行停止と拘置の停止を決定しました。袴田さんは即日釈放され、48年間の地獄の責め苦から解放されたのです。

三審制    袴田事件の場合
第1審  静岡地方裁判所へ公訴提起 (1966年9月9日)
静岡地方裁判所、死刑判決 (1968年9月11日)
第2審  東京高等裁判所へ控訴 (1968年)
東京高等裁判所、控訴棄却  (1976年5月18日)
第3審      最高裁判所へ上告  (1976年)
最高裁判所。上告棄却 (1980年11月19日)
ここまで約14年間を費やす

第1審では、証拠調べや証人尋問などすべての手続きを完了して判決を出しますが、第2審、第3審では、もう一度最初から裁判をやり直すわけではありません。第1審判決に誤りがあるかどうか、法律上の論点を審理するのみ。事実認定を最初から蒸し返すことは原則としてありません。

日本では、判決への不服申し立て(控訴、上告)は弁護側、検察側、共に可能ですが、アメリカでは、無罪判決に対する検察の不服申し立ては禁止です。一事不再理という原則(同じ事件で再度罪を問わない)に抵触すると判断されるからです。人権尊重のレベルが高い、日本の方が話しにならないほど低いのです。

無辜の救済システム、再審制度     「明らかな無罪の新証拠」から「合理的な疑問」へ

袴田事件の再審
第1次    静岡地方裁判所へ再審請求  (1981年4月20日)
静岡地裁、再審請求棄却   (1994年8月8日)
東京高裁へ即時抗告     (1994年8月)
東京高裁、即時抗告を棄却  (2004年8月26日)
最高裁へ特別抗告      (2004年8月)
最高裁、特別抗告を棄却   (2008年3月24日)
ここまで約27年間を費やす

第2次    静岡地裁へ再審請求     (2008年4月25日)
静岡地裁、再審開始決定   (2014年3月27日)
検察、東京高裁へ即時抗告  (2014年3月31日)
ここまで約6年間を費やす

現在、東京高裁で審理中      即時抗告から約4年

第1審、2審、3審と段階的に進められた裁判は、最高裁の有罪死刑判決で終了。
最終判決で有罪を宣告された場合、さらに被告・弁護側が不服を申し立てるのが再審。
(検察側からさらなる重罪を求めての再審請求はできない。)
最高裁判決でも救われなかった無実の人(無辜)を救済するための制度が再審です。ですから、有罪を無罪にするか、または量刑を軽くするか、が問われます。より重い刑になることはありません。

再審といってももう一回最初から審理をするわけではありません。
再審を始めるには高いハードルがあります。無罪を言い渡すべき明らかな証拠が新たに発見されたときに初めて認められるのです。従って、弁護側がそのレベルの重要証拠を発見し、これで再審を請求しますと裁判所に訴えないといけません。その要求を認めて再審を開始するかどうか、まずそれを決める裁判(再審開始審理)が行われます。

無辜を救うため、再審請求は、棄却されても別の新証拠があれば何度でも繰り返すことが可能です。
免田事件の再審では第6次再審で、島田事件のばあいででは第4次再審で、ようやく認められています。名張事件では、第9次再審中に病気で亡くなっています。しかも名張事件では第7次再審で、一旦再審開始決定が出ています。徳島ラジオ商事件では第6次再審です。再審請求は何回も繰り返さないと再審は実現しないというのが今の日本の実情なのです。また、再審請求が認められると、ようやく再審公判が開かれるという二重の仕組みになっています。再審公判ではじめて無罪判決が用意されているのです。
袴田事件では、2回目の再審請求を受けた静岡地裁が開始決定を出しました。が、第一次再審は27年間を費やして再審請求が棄却されました。第二次再審請求審は地裁での決定が出るまで6年間、検察が即時抗告してから高裁で3年半の年月が過ぎ去ってしまっているのです。事件発生から半世紀を経過してもまだ決着がついていないのです。30才で逮捕され、48年間の監獄生活、そのうち33年間は確定死刑囚。責苛烈な運命を耐え忍び生き抜いてきた袴田巖さんは、もう81才です。

日本が真似たアメリカの再審システムでは、無辜の救済という立法意思を徹底し再審開始の決定、および再審公判での無罪判決に対して、検察が不服申し立て(抗告)することは許されません。再審は裁判を何回も繰り返すシステムではなく、余りに強大な検察の力(時には横暴)から被告人(判決を受けた人)の権利を保護するための制度ですから、日本でも立法の意思を尊重してそうすべきなのです。袴田事件も米国式であれば、静岡地裁の再審請求審での開始決定はそのまま実行されて、再審公判が行われているはずです。

かつて再審の制度は使い物になりませんでした。再審開始の条件が不当に厳しかったからです。真犯人が現れた、あるいは被告のアリバイを完璧に証明できる証拠が新たに発見された。そのくらいの証拠、つまりそれだけで無罪が明らかになる証拠があることが不可欠だったからです。合理的な疑いでは不足とされてきました。「疑わしきは罰せず」ではなく、「100%の無罪証明」を弁護側に求めたのです。再審はあって無きがごとくでした。
ところが、最高裁は1975年、再審請求した白鳥事件の棄却決定で、再審においても「疑わしきは被告人の利益に」の原則が適用される。「明らかな証拠」であるか否かも、確定判決までに提出された旧証拠と総合的に判断して有罪判決の認定に合理的な疑いを生じさせれば足りるとして、再審のハードルを下げたのです。無辜の救済という立法意思が見直され、再審制度に生命が吹き込まれたかのようでした。
そして、最高裁は翌1976年、この原則を財田川事件の再審に適用して、再審開始請求を棄却した高裁の決定を覆しました。さほどの有力な新証拠が゙無かったにもかかわらず、その場合でも旧証拠に合理的疑問を差し挟むことができればそれで再審が認められる、として棄却決定を取り消したのです。こうして、免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件と、相次いで再審が開始され、再審無罪が誕生ました。無辜の救済への道がようやく開かれたのです。

袴田事件再審開始決定の内容

死刑確定から33年、再審開始、死刑と拘置の執行停止を決定

静岡地裁(村山浩昭裁判長)は2014年3月27日、「重要な証拠が捜査機関に捏造(ねつぞう)された疑いがある」と喝破、再審開始を認める決定をしました。死刑と拘置の執行停止も決定。袴田さんは即日東京拘置所から釈放されました。事件発生から48年。死刑確定からは33年が過ぎ、ようやく再審の重い扉が開いたのです。
死刑事件の再審開始決定は、無罪が確定した免田、財田川、松山、島田の4事件と、後に覆された2005年の名張毒ブドウ酒事件の名古屋高裁決定に次いで6件目となります。

拘置を続けることは、耐え難いほど正義に反する

決定の内容は縮めるとこうです。
第1に、再審を開始する。弁護人から新たに出された五点の衣類に関するDNA鑑定と色に関する証拠は「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に該当する。確定判決の最も有力な証拠としての五点の衣類は、後日ねつ造されたとの疑いを生じさせる。それ以外の証拠も自白調書も証明力が弱く、袴田を犯人であると認定できるものではない。
第2に、死刑の執行を停止。袴田は、捜査機関によってねつ造された疑いのある重要な証拠によって有罪とされ、極めて長期間死刑の恐怖の下で身柄を拘束されてきた。無罪の蓋然性が相当程度あることが明らかになった現在、これ以上、袴田に対する拘置を続けることは、耐え難いほど正義に反する状況にある。よって、裁量により、拘置の執行も停止する。

検察は即時抗告

「重要な証拠が捜査機関に捏造された疑いがある」と非難された静岡地検は3月31日、決定の取り消しを求めて東京高裁に即時抗告。東京高裁(大島隆明裁判長)は、再審開始の決定については審理を開始しましたが、拘置の執行停止(釈放)については地裁決定を支持、静岡地検の抗告を棄却したのです。「拘置は死刑執行のための身柄拘束で、死刑執行の一環。再審開始決定をした時は拘置も執行停止できる」とし「年齢や精神状態に鑑みれば、身柄確保の必要性が高いといえない」と述べています。

裁判官は無罪を確信、捜査は違法と喝破

静岡地裁のこの決定は、事件の冤罪性と捜査の違法性を明確に指摘、歴史に残る画期的な意義を持っています。裁判官が無罪を確信しているばかりか、警察、検察の捜査を違法と認定、さらに、長期にわたる拘禁を耐え難いほど正義に反すると断じて死刑囚を釈放してしまったのです。ここまで明りょうに、かつ踏み込んだ決定(判決)が出るとは誰も予測できなかったでしょう。死刑囚の拘禁期間が世界一長いことでギネスブックに載った事件も過酷な事件ですが、静岡地裁のこの決定もかつてはありえなかった事例です。
はっきり言えば、違法捜査という国家権力が犯した犯罪を満天下にさらしたのですから。正義を守るはずの警察、検察、そして裁判所までが、罪のない一市民に濡れ衣を着せて逮捕。客観的証拠がなく罪を証明できないから、袴田さんが「殺される」と思ったほどの暴力的な「取り調べ」で自白を強要。そして、「五点の衣類」などの証拠のねつ造。これが公共を代表する法律の番人のやることか、と批判が世界中から集中したのです。

目覚めた正義

警察、検察は面目まるつぶれ、味方であったはずの裁判官の判断にかなりのショックを受けたことでしょう。しかし、この決定、冷静に検討すれば当然至極、誰が見ても当たり前の結論です。これまでに地裁高裁最高裁で繰り返されてきた有罪判決の方が異常、有罪という結論が初めから決定事項という前提でそれを無理やり追認してきただけだったのですから。

第3章 袴田事件、捜査の暗闇 (自白の強要と証拠の偽造)

捜査当局(警察、検察)は、犯人を逮捕し、身柄を拘束しながら取り調べを続けるとともに目撃証言や物的証拠を収集します。犯罪として立件できれば公訴提起(起訴)するプロセスになります。愚問ですが、現状の捜査は、公平に行われているのでしょうか。捜査当局の権力は凄まじく巨大で、しかもその権力を独占しているのですから、いったん暴走を始めたら止まらず、恐ろしい事態を招くのです。
しかも、一般常識として、警察、検察は正義を守ってくれていると思われています。社会生活の中でもめ事が起きると、「警察を呼べ」と警察に頼るのが最適な解決手段。警察は市民の生命と財産を保護するために存在するかのように考えられていますが、根本的にそうではありません。国内の法秩序の維持、治安の確保にあります。ですから、公共の秩序が優先、人権はそれに従属するのです。
また、警察、検察は、間違いを犯すことはないとも言い張っています。その無謬性をバックに権威を振りかざすのです。自分の過ちを絶対に認めず、いったん「黒」と決めたら決して譲ることはなく、証拠を平気でねつ造してまで「正当性」を強弁します。ここにも、冤罪を生み出す原因があります。

刑事事件捜査の国際比較          日弁連資料より

日本欧米諸国
逮捕・勾留期間23日2~3日
勾留場所警察代用監獄(いつでも無制限に取り調べ可能)捜査官とは関係の無い拘置所(取調べには拘置所規則の厳格な制約がある)
取調べに際しての弁護士の立会許されない許される
取調べのビデオ、録音(可視化)許されない実施される
未決の国選弁護なしあり
捜査の特徴自白をとることを重視、その裏付け証拠を収集客観的証拠の収集を重視

 

容疑者を拘束できる期間の国際比       日弁連資料より

国 名 拘束出来る期間
日本 23 日
カナダ 1 日
イギリス 4 日
アメリカ合衆国 2 日
ドイツ 2 日
デンマーク 3 日
ノルウェー 3 日
イタリア 4 日
スペイン 5 日
フランス 6 日
ニュージーランド 2 日
南アフリカ 2 日
ロシア 5 日
アイルランド 7 日
トルコ 7.5 日
フィリピン 1.5 日

袴田巖さんの連日取り調べ時間  弁護人との接見日と時間

月 日 警察・検察取調べ時間 弁護人接見時間
8月18日 1日目 13時間08分
19日 2日目 10時間30分
20日 3日目 9時間23分
21日 4日目 7時間05分
22日 5日目 12時間11分 7分
23日 6日目 12時間50分
24日 7日目 12時間07分
25日 8日目 12時間25分
26日 9日目 12時間26分
27日 10日目 13時間17分
28日 11日目 12時間32分
29日 12日目 6時間55分 10分
30日 13日目 12時間48分
31日 14日目 11時間32分
9月 1日 15日目 13時間18分
2日 16日目 11時間15分
3日 17日目 11時間50分 15分
4日 18日目 16時間20分
5日 19日目 12時間50分
6日 20日目 14時間40分 自白
7日 21日目 11時間30分
8日 22日目 12時間45分
9日 23日目 14時間00分

人権蹂躙もはなはだしいガラパゴス的「人質司法」

警察・検察が最も重要視するのが、被疑者(犯人の疑いがある人)の自白です。犯人として目星をつけた人を逮捕、勾留して取り調べに入ります。取り調べと言ってもその実態は自白の強要です。「自分がやりました」と罪を認めるまで釈放されず、長期間にわたって拘束され続けます。それが日本の刑事司法の暗闇、「人質司法」と言われる問題です。この人権蹂躙に世界からの非難が集中しています。ガラパゴスといったのは、世界中で日本という島国にしか存在しないからです。
被疑者を直接取り調べるために許される逮捕・勾留期間を別表に示しますが、日本だけが異様に長いことは一目瞭然。警察が容疑者を拘束できる期間の上限が、日本は23日間。それに対してアメリカ2日間、カナダは1日、ドイツ2日間など、比較になりません。先進国では、逮捕してから2日(国によって異なります)以上勾留した後の自白は裁判で証拠として採用されないからです。外国では、自白よりも客観的証拠を集めることに注力し、自白には頼らない操作方法が主流となっています。

憲法38条では、「自白の強要」を禁止しています

「憲法38条  何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
2 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
3 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
要するに、①警察検察は自白を強要してはいけない、②裁判所は、強制された自白、長期間の勾留の後の自白を証拠にしてはならない、③裁判では、自白だけで有罪にすることはできない、という憲法上の決まりなのです。
この憲法上の規定は、それまでの拷問によって自白を取って罪に陥れる捜査方法を反省した上で、人権を保障するために権力を縛るルールと言ってよいのです。もちろん、外国では常識です。しかし日本の実態は、不当に長い23日間も拘束(憲法違反です)してとにかく自白を取るという自白偏重主義、そしてその自白を補強する証拠を集めるという手順が捜査方法として受け継がれているのです。弁護人との面会(接見)も制限するという徹底した人権の剥奪。弁護人が被疑者と会うためには、検察官の許可が必要、その上警察の捜査の都合と称して極端に短い時間しか接見できないのです。(人権先進国では、被疑者の取り調べに弁護人が立ち会うのが当たり前、日本は最低です)このようなやり方で、身柄を人質にとっての捜査、これが「人質司法」です。そして、起訴された後も罪を認めなければ保釈もされません。
刑事司法の原則に、推定無罪という考え方があります。裁判で有罪判決が出るまでは被疑者または被告人は無罪と推定されるので、不当に拘束することは禁止です。が、残念ながら実際はその逆、「推定有罪」の人権侵害がまかり通っているのです。検察官から「逃亡の恐れあり」とか「証拠隠滅の恐れあり」などという理由をつけられて拘置請求され、裁判所は事務的にそれを認め、弁護人からの保釈請求を却下します。長期間にわたる未決(判決前の)拘留が始まるのです。
さらに、懲役や禁固刑に服する場合、刑期満了前に仮釈放されることが多いのですが、無実を主張し続けると、仮釈放が著しく困難になります。「自分の犯した罪を反省していない」と評価されるからです。無実であろうとなかろうと、罪を告白しないと、最後までひどい仕打ちを受け続けるのが「人質司法」なのです。
その結果、無実の人が警察に逮捕された場合、警察の言いなりに罪を認めてしまう方が、無実を主張し続けるよりも得をする(事実上の刑が軽くなる)ことが多いのです。特に痴漢などの比較的軽い犯罪では、自白してしまえば即釈放ですが、否認すると「人質司法」の餌食となります。裁判の結果は無罪となっても、長期(時には1年以上)にわたる勾留で市民生活は破壊され社会復帰が困難となるのです。要するに、罪を犯したかどうかではなく、警察や検察に素直に従うかどうかで処遇が決まる。それが「人質司法」の実態で、映画『それでもボクはやっていない』(周防正行監督2007年1月公開)にも描かれています。

世界が驚く「代用監獄」

日弁連によれば、代用監獄制度とは
「警察の留置場は、本来、逮捕された被疑者を裁判所に連れて行くまでの間、一時的に留め置く場所で、 10日間や20日間、あるいはそれ以上もの間、被疑者を勾留するための場所ではありません。法律上、 被疑者を勾留する場所は法務省の管轄する「監獄」であるにもかかわらず、やむを得ず「監獄」に勾留 することができない場合には、監獄法の規定によって、警察の留置場を「監獄」の代わりに使用できるとしたこと、これが、「代用監獄」という仕組みです。」
この代用監獄は警察が被疑者を自白に追い込むためには実に都合の良いシステムなのです。本来、捜査取り調べと被疑者の身柄確保とは別。法務省管轄の拘置所が被疑者(犯罪の嫌疑を受けて捜査対象となっているが起訴されてはいない人)や被告(起訴されている当事者)を強制的に勾留します。それに対して取り調べは強制ではありません。不利益なことは証言しなくてもよいという黙秘権があります。捜査官には質問する権利がありますが、被疑者にはそれに回答する義務はないのです。犯罪の立証責任は捜査当局にあり、被疑者はそれに協力する義務はありません。
拘置所に収監されていれば、早朝から深夜に至るまでの取り調べは困難です。警察署にある留置場(代用監獄)に収容しておけば、何時でも何時間でも取り調べに引っ張り出せて便利なのです。また、被疑者の寝起きから食事など生活全般を捜査官が支配し管理できるので、様々な被疑者への虐待(人権侵害)が引き起こされているのです。被疑者を精神的肉体的に追い込んで自白を強制するために好都合な代用監獄制度が、冤罪の温床になっています。
代用監獄制度は世界中を探しても、日本にしかありません。日本にだって、こんな制度に固執する理由はないのです。国連からは、はっきりと代用監獄を廃止せよという勧告を受けています。

自白の強要、自白を重要視する捜査

憲法第36条で、拷問は禁じられています。
「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」という条文です。映画に出てくる拷問は、両手両足を縛って棒や鞭で殴りつけるシーン、あるいは柔道場で投げ技や絞め技で痛めつけるシーンです。ここまでやるケースは殆どなくなっているとは思いますが、強要、強制、脅迫によって被疑者を追い込む、長期の勾留で痛めつけることは今でも続いています。
それは、前述したように被疑者から何としても自白を取るためです。警察が犯人とおぼしき人物として推認する人を逮捕し取り調べにかけるのですが、その際、不思議なことが起きます。被疑者は犯人らしいというだけですから、ひょっとしたら違うかもしれない。犯人は他にいるかもしれないという考えを排除してはならないのですが、そんな柔軟さは聞いたことがありません。頭から真犯人と決めつけて取り調べるわけです。それも組織的に上から「犯人はあいつに決まっている、自白を取れ」という命令が下ります。ですから、被疑者が素直に犯行を自供せずに否認したりすると、罪を押し付けようと自白を強要し暴走することになるのです。
警察の内部資料から抜粋します。このような教育がされています。
3 粘りと執念を持って「絶対に落とす」という気迫が必要
調べ官の「絶対に落とす」という、自信と執念に満ちた気迫が必要である
4 調べ室に入ったら自供させるまで出るな。
○被疑者の言うことが正しいのでないかという疑問を持ったり、調ベが行き詰まると逃げたくなるが、その時に調べ室から出たら負けである。
11 被疑者には挨拶・声をかける
留置場内で検房時等必ず被疑者に声をかけ挨拶する。
12 被疑者は、できる限り調べ室に出せ
○自供しないからと言って、留置場から出さなかったらよけい話さない。
どんな被疑者でも話をしている内に読めてくるし、被疑者も打ち解けてくるので出来る限り多く接すること。
○否認被疑者は朝から晩まで調べ室に出して調べよ。(被疑者を弱らせる意味もある)

愛媛県警平成 13 年 10 月 4 日付適性捜査専科生用「被疑者取調べ要領」から抜粋

さらに、袴田事件の捜査会議では、こんな指示がありました。
8月29日静岡市内の本件警察寮芙蓉荘において本部長、刑事部長、捜一、鑑識両課長をはじめ清水署長、刑事課長、取調官による検討会を開催し、取調官から取調の経過を報告させ、今後の対策を検討した結果、袴田の取調べは情理だけでは自供に追込むことは困難であるから取調官は確固たる信念を持って、犯人は袴田以外にはない、犯人は袴田に絶対間違いないということを強く袴田に印象づけることにつとめる。
狭い取調室の中で朝から晩まで「お前がやったんだろ」「いい加減に白状しろ」、取り調べに当たる捜査官は机を叩きながら、大声を張り上げます。「今自白すれば保釈もありうる。裁判になっても罪は軽くなる。自白しなければ、いつまでも釈放されないぞ。」「みんなお前がやったと言ってるぞ」・・・と、威圧、威嚇と利益誘導が延々と続くわけです。

袴田巖さんは、逮捕されてから20日目、勾留期限に切れる3日前に自白させられています。その時の酷い状況について手記や手紙に書いています。
「その後は連日連夜の拷問と卑劣な術策を用いて、完全な病人でありました私を騙しうちにして調書一通デッチ上げたのであります。それからというものは、一通の調書のあることを理由に、生命に直接係る暴行を駆使してうむを言わさず、次々と推測による架空調書を捻出したのであります。」1977年集会へのアピール
「取調べ当時私の健康状態極めて悪く、この状態では私自身の生命をも守ることが困難であったのだ。右の理由からやむを得ず、先ずは、清水警察の手から逃れることが急務であった。」1975.12兄への手紙
「この間、私はほとんど自己を喪失させられていたことが後で分かった。ただただ、密室内で死を強制され、またしばしば殺されるのではないかという疑念と確信みたいなものが迫って来たのをおぼろげながら覚えている。」1980.5手記
「全身がむくみ、ところどころに青痣が走っている。その体は両手を広げたままぶっ倒れる。はれあがった目をうつろに開け、結んだ口から血を流している自分の姿。」1982.11手記
「私は、過度の衰弱からもうろうと、ただうずくまっていただけだ。・・・「ああ頭が爆ぜる、頭が爆ぜる」。ありのままを申し述べると、どなられ小突かれるから、口があっても物言えぬから、鼓膜が破れる程に終日どなられるから、頭の奥が爆ぜる。
常に私は意識なく、分別なく調べ室に引き出される。血がにじみぐらぐらする、階段を引かれ押されて昇り、降りて行く。」1983.1手記
「九月上旬であった。私は意識を失って卒倒し、意識をとりもどすと、留置場の汗臭い布団の上であった。おかしなことに足の指先と手の指先が鋭利なもので突き刺されたような感じだった。取調官がピンで突ついて意識を取り戻させようとしたものに違いない。」1983.2手記

袴田さんは「殺されるか」と思ったというのだから、その追及はさぞや凄まじいものだったのでしょう。連日12時間以上の取り調べ、否認を続ける巖さんに、焦った警察官たちは一体なにをしたのか?自白は止むにやまれぬ「緊急避難」以外の何物でもないのです。取り調べの録音テープが証拠として提出されたのですが、自白前の数日間のものは隠されているのです。それでも、トイレに行かせないで「自白したら行かせてやる」と強要、最終的には取調室内に便器を持ち込んでそこにさせている様子が録音されていました。
何日もこのような拘束と取り調べが続けば、ほとんどの人は精神的に耐えられなくなります。本当に罪を犯していないなら自白するなんてありえない、などと簡単に考えることはできません。PC遠隔操作事件をご存じでしょうか。誤認逮捕が後から判明した4人のうち、2人が虚偽の自白をしていたのです。この事実に世間はビックリしましたが、ある警察官に言わせれば「誰だってオレにかかれば一日で罪を認める自白をするよ」と自慢します。そんなことが許されているわけですから、「中世」だと言われるわけです。

弁護士の立ち合いを認めず、面談も制限

捜査期間中に被疑者を防御するため、また、裁判の公平性を担保するために、弁護士を付けることが必須です。雇用するお金がない場合は、国選弁護人といって国が弁護士を手配してくれるのです。ところが、起訴される前の段階(長い場合は逮捕されてから23日間)は国選弁護人が付けられません。したがって、被疑者の取り調べに弁護士が立ち会うことを法的に規定していないのです。これも外国の法曹関係者には驚きです。
しかも、弁護士の面会(接見といいます)も制限してもよいことになっています。「捜査の都合」でほとんど接見を拒否するか、ほんのわずかな時間しか与えないのです。袴田事件の場合、捜査官の取り調べ時間は1日平均12時間、延べ280時間であったのに対して、その間の弁護人との接見時間はたった3回、ものの32分間でした。警察、検察の取り調べという仮面での自白強要がいかに常軌を逸して暴走しているか、うかがい知れるというものです。

有罪率は99.99%、これには秘密があります。

日本の刑事司法は、社会の秩序維持、社会の防衛に重点があり、その任務を担当する捜査機関の無謬性(絶対に過ちを犯さない)を看板にしています。そのために、人権には無関心。罪を摘発するのは良いのですが、暴走して人権蹂躙の罪を作ってしまうようならば話は別です。また、推定無罪の原則はお題目だけで、有罪と決めつけます。「推定有罪」の牙で襲いかかると言うほかありません。そんな警察検察の姿勢を、国民があるいはマスコミが大問題として取り上げないので、野放しになっている観があります。監視の目がないところに、悪がはびこるのです。

警察に逮捕されたらもうあなたは犯人。マスコミ報道で痛めつけられ、人質司法が舌なめずりして待っています。長期間の留置場での拘留、取り調べで自白を強要され警察の筋書での供述調書を取られます。供述調書とは名ばかりであなたの供述をそのまま文章にするわけではありません。捜査官が思うままに書いた文面に署名捺印するだけです。この名ばかりの供述調書が威力を発揮します。裁判の最後まで、結果を左右する最も重要な証拠として扱われるのですから。公判で自白を覆しても、捜査段階の供述調書の方を信用できる証拠とされ、公判廷での証言は罪を逃れるためのウソと認定されてしまうのです。
裁判所の判決では、ほとんどが検察の言いなりになります。検察官が起訴した事件は、その99.9%が裁判で有罪。検察主導の司法と言われています。裁判官は、検察、警察を無防備に信用しているばかりか、頼りにしている風に見えます。さらに、裁判官を辞めて弁護士に転身した人たちの証言としてよく出てきますが、裁判所は検察の顔に泥を塗ることを避けるのです。名裁判官による名判決とは、検察官の冒頭陳述や論告の不備を校正して、より緻密で整合性のとれたものに再編集されたものだそうです。もし、裁判官が人権思想に立脚し適正手続きに従って訴訟を指揮し、その上で自由心証主義を全うするならば、有罪率99.9%とは決してならないでしょう。

袴田事件に代表される日本の刑事司法の病弊についてみてきました。国際社会、国連から厳しく警告されている点は人権を蹂躙して顧みない悪弊。でも、あなたにはすべて納得していただけたでしょうか。若干の危惧があります。日本人は事あるごとに「命の大切さ」をお題目のように唱えますが、人権や人間の尊厳についてまともに教育されてきていないからです。
司法当局(警察検察裁判所)の一部では、日本の独自性を強調してこう正当化します。
「人質司法だの自白の偏重だのと言うが、治安の良い日本がわざわざ治安の悪い国の取り調べ制度を見習う理由などない。有罪率99.9%の刑事司法は日本の誇りだ。もちろん不十分な点はあるだろうが、どの国にも短所はある。我々は状況改善に最善を尽くしている」と。
この反論に応えられるでしょうか。
失礼なことを言って申し訳ありません。ほとんどの方は人権について人間の尊厳について微動だにしない知見と信念を兼ね備えていることと思います。袴田事件の再審無罪を勝ち取る裁判闘争は、同時に刑事司法の暗闇に光を当てる作業でなければならないと信じます。裁判官が無罪判決を出してくれる僥倖(偶然の幸運)を祈るだけではなく、冤罪事件を繰り返さないため、社会に人権意識を広げていくことが不可欠になるのです。人権思想に立脚した民主主義社会には、冤罪が大手を振って歩ける道はありません。
「悪い奴になら何をしてもいい」などという風潮はとても危険です。人権を尊重するのは、善人に対してだけではないのですから。仲良し同士の仲間を大切に思う気持ちがそのまま人権尊重ではありません。あなたの最も嫌いな人、誰が見ても極悪人と言われる人、そういう人にも人間としての尊厳を、いかなる法律や契約によっても奪われることのない天賦の自然権を認めることから人権思想は始まります。ボルテールが言うように「私はあなたの意見に反対です。でも、あなたが自分の意見を表明する権利を命を懸けて守ります」なのです。国民の人権感覚がもっとレベルの高いものであれば、刑事司法も変わります。社会も政治も経済もすべてが変わるのです。

日本国憲法の前文には、こう書いてあります。

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

証拠のねつ造   犯行着衣

「袴田事件」における最大の争点は犯行着衣です。確定判決(第1審静岡地裁判決)は、袴田さんが「5点の衣類」を着て犯行に及んだと認定し、これを決定的証拠として死刑判決を言渡しました。しかし、再審開始決定では、「ねつ造された可能性が高い」と厳しく指摘され、決定の根拠とされたのです。
「5点の衣類」は、事件発生から1年2か月後の1967(昭和42)年8月31日に、専務宅から東海道線線路を隔てて南に30メートルほどの場所にあった味噌製造工場(第1工場)の味噌醸造用タンク(1号タンク)の底に残っていた味噌の中から、麻袋に入れられた状態で、味噌の出荷作業をしていた従業員によって発見されたもので、いずれの衣類にもはっきりと血痕が付着していました。しかし、この「5点の衣類」をめぐってはこれまで数々の不可解な点が指摘されています。




1.「5点の衣類」は犯行着衣なのか?
(1) 直接証拠はなし
「5点の衣類」に関する確定判決の推論
①「5点の衣類」が工場内から発見された。

②殺害行為が存在したことを裏付ける証拠である。(=「5点の衣類」は犯行着衣である)

③「5点の衣類」に含まれる鉄紺色ズボンの共布が袴田さんの実家から発見された。

④鉄紺色ズボンは袴田さんのものである。

⑤「5点の衣類」は一つの麻袋の中に入れられていた。

⑥「5点の衣類」は袴田さんのものである。

⑦袴田さんは犯人である。


そもそも確定判決は「5点の衣類」が犯行着衣であるか否かについて十分な検討を行っていません。それらが事件現場の近くから発見されたこと、被害者と同じ血液型の血液がはっきりと付着していたこと、事件直後から1号タンクに新たに味噌が仕込まれる7月20日までの20日間のうちに隠されたと認められることなどからして、それが犯行着衣であることは間違いないとの前提に立ち、「殺害行為の11号タンクで発見された「5点の衣類」 の存在を挙げているのです。
確かに、現場近くの第1工場から血痕が付着した衣類が発見されれば、事件と何らかの関係がある衣類だと考えるのは当然ですが、それだけで「5点の衣類」が犯行着衣であると断定することはできません。

警察が1日平均12時間にもおよぶ過酷な取調べを20日間以上にわたって行なった末にようやく取りつけた袴田さんの自白調書では、パジャマを着て犯行に及んだとされており、「5点の衣類」については一言も語られていません。もちろん、犯人が「5点の衣類」を着て専務ら4人を殺害しているところや、その後誰かが7月20日までの間に「5点の衣類」を1号タンクに隠したところを目撃したなどの証言も存在しません。
また、「5点の衣類」に付着していた血液が被害者の血液型と一致したと言っても、被害者の血液型は専務がA型、妻がB型、次女がO型、長男がAB型で4人とも異なるので、どの血液型が検出されても誰かのものと一致するのは当然で、それは単に被害者の血液である可能性があることを示しているに過ぎません。
なお、東京高裁で審理された第1次再審請求即時抗告審では、1998(平成10)年3月、「5点の衣類」の付着血痕についてDNA型鑑定の実施が決定され、科学警察研究所と岡山大学法医学部法医学教室がそれぞれ鑑定を実施しました。しかし、1999(平成11)年9月に出した科警研の鑑定結果、2000(平成12)年7月に出した岡山大学の鑑定結果とも、残念ながら試料の汚染と陳旧化が進んでいたため「鑑定不能」に終わっています。

(2) 不自然な血痕付着状況
「5点の衣類」に残されていた血痕の血液型はA型・B型・AB型の3種類で、O型の血液は検出されていません。次女の血液だけが付着していないのです。次女も他の3人と同じように刃物で10か所近く刺されて殺害されているので、犯人はかなりの量の返り血を浴びたはずですが、「5点の衣類」にはどういうわけかO型の血液だけ付着しておらず極めて不自然です。
さらに不可解なのは、緑色ブリーフに付着していたB型の血液が、白ステテコと鉄紺色ズボンから検出されていない点です。言うまでもなく返り血は被害者の血液ですから、最初に外側に着ている衣類に付着し、それが徐々に内側に着ている衣類へと浸透して行くと考えられます。そして普通の人であれば内側からブリーフ・ステテコ・ズボンの順番で着用するでしょう。もし緑色ブリーフに付着していたB型の血液が被害者の返り血であれば、それより外側に着ているステテコとズボンに付着していないはずはありません。袴田さんの血液型もB型ですが、袴田さんには緑色ブリーフの血痕付着位置に対応するような傷はありません。
弁護団はこの矛盾点を指摘しましたが、東京高裁は第1次再審請求即時抗告審の棄却決定で次のような、経験則を無視した常識はずれの認定を行いました。
厳密にいえば,確定判決等は,犯人が犯行時において5点の衣類全部を終始通常の方法で着用していたと断定しているわけではなく,例えば,犯行の途中でズボンを脱いだなどという可能性も否定できないのである。
確定判決はあたかも「5点の衣類」が犯行着衣であることは当然であるかのごとく前提し、袴田さんが犯人であるとの結論を導き出していますが、以上のように、その前提を支える直接証拠はどこにもないのです。

2.「5点の衣類」は袴田さんのものなのか?

確定判決は「5点の衣類」について次のように認定しています。
鉄色ズボンは被告人のものと断定することができ、ブリーフは被告人のものである疑が極めて濃厚である。そして前記の如く、麻袋の中に右五個の衣類が、一緒に脱いだ形でまるめて入れられていたことと合わせて考えると、スポーツシャツ及びステテコ、半袖シャツも、被告人のものであると推認することができる。
つまり、白ステテコ・白半袖シャツ・ネズミ色スポーツシャツの3点は、袴田さんのものである証拠はないが、鉄紺色ズボンや緑色ブリーフと一緒に麻袋に入れられていたから袴田さんのものだ、と言うのです。では、袴田さんのものと断定した鉄紺色ズボンとその疑いが極めて濃厚だとする緑色ブリーフは本当に袴田さんのものなのでしょうか。
(1) はけない鉄紺色ズボン
袴田さんは「5点の衣類」が発見された直後、家族に宛てて手紙を書いています。
事件後1年2か月過ぎた今日、しかも再鑑定を申請したら、こういうものが出てきましたが、これは真犯人が動き出した証拠です。これでますます有利になりました。

また、袴田さんが東京高裁に提出した控訴趣意書には「鉄紺色ズボンは、ウエストを体に合わせて直してあると言う事なので私に穿かせて見て欲しいと思います」と書かれています。犯行着衣とされた袴田さん自身のものであったとしたら、自分に不利な結果が出ることが明らかな装着実験を望むはずがありません。
控訴審では袴田さんが控訴趣意書でも希望していた「5点の衣類」の装着実験が3回(①1971年11月20日②1974年9月26日③1975年12月18日)実施されましたが、いずれの実験でも鉄紺色ズボンは袴田さんには小さすぎてはくことができませんでした。にもかかわらず東京高裁は、ズボンを90℃の高温で乾燥させるなど鉄紺色ズボンが実際には受けていない作用を加えて無理やりズボンを縮ませた鑑定結果を元に、経年乾燥によってズボンが縮んだことや袴田さんが太ったことなどの理由を挙げ、事件当時は十分にはけたと認定したのです。
弁護団は再審請求段階でも繊維の専門家による鑑定書を提出し、ズボンが縮んだという裁判所の認定に合理性はなく、したがって袴田さんが装着実験で鉄紺色ズボンをはけなかったのはもともとのサイズが小さかったためで、ズボンは袴田さんのものではないと主張しましたが、裁判所はこれも認めませんでした。

共布の発見

共布発見時の箪笥の引出し

上記のとおり、確定判決は鉄紺色ズボンについて、袴田さんのものと断定できると認定しています。控訴審での3回の装着実験でそれが袴田さんには小さすぎてはけないことを認識していながら、その認定を東京高裁が維持したのは、「5点の衣類」発見から12日後の1967(昭和42)年9月12日に、鉄紺色ズボンの共布(裾上げしたときに裁断された布切れ)が袴田さんの実家の箪笥の引出しから発見されているためです。
たとえ鉄紺色ズボンが袴田さんにはけたとしても、それが袴田さんのものと断定することはできません。なぜなら世の中には袴田さんにはけるサイズのズボンなど数えきれないほど存在するからです。鉄紺色ズボンには、それが袴田さんのものであることを示す特徴は何もありませんし、販売店の従業員が袴田さんに売ったとの証言もありません。この共布こそ鉄紺色ズボンと袴田さんを結び付け、それを前提に「5点の衣類」が袴田さんのものであるとの認定を導いた唯一最大の証拠、言い換えれば、袴田さんに死刑判決を言渡した最大の証拠と言っても過言ではありません。
しかし、この共布の発見経過は非常に不可解で、警察による証拠の捏造の疑いが濃厚であり、本当に袴田さんの実家にあったものなのか、にわかに信用することはできません。もし、この共布に証拠価値がないのであれば、鉄紺色ズボンが袴田さんのものであることを裏付ける直接証拠は存在しないことになります。

(3) 「B」は型ではなく色だった

実況見分調書にズボンの「型B」と記載した捜査員の名前は判明しています。この調書に写真の添付はなかったのでした。ところが、発見当日である1967年8月31日には寸法札の写真撮影がなされており、この写真によると、Bの左横の文字あるいは記号は滲んでしまって判読不明で、とても「型」と読めるものではなかったのです(撮影していた事実が明らかになったのは、確定控訴審の段階だった)。実況見分調書に「型」と記載した捜査員は、実際には判読できないのに「型」と記載したことになります。弁護団は、この判読できないにもかかわらず、あえて「型」と虚偽の記載をしたことが、有印虚偽公文書作成罪とその行使罪にあたる、と主張しています。

判読できないものを「型」と記載した事実は、重大です。この背景には、捜査側の重大な悪意が潜んでいたことが判明しています。実は、静岡県警捜査本部はズボン発見直後の9月4、5日にメーカー(F社)に捜査員を派遣し、Bは大きさや体形を表す記号ではなく、色調を表す記号で、Bの左脇にある滲んだ文字はもともと「色」と記されていたことを把握していたのでした。さらに9月中旬には、「Bは色調を表す記号で、グリーン系であることを表していた」という趣旨のF社専務の供述調書や、「本件ズボンの巾から判断すると、普通の体格で若向き用のY体である」という趣旨の縫製従業員の供述調書も作成していました(これらの調書が弁護側に開示されたのは、第二次再審が静岡地裁で審理されていた2010年9月13日になってからだった)。
つまり、1967年9月4日付の実況見分調書で、判読不明なものをあえて「型」と読み、その直後に「色」であることが判明したにもかかわらず、県警は訂正もせず、これを隠蔽していたのでした。従業員の言う通りY体であるなら、鉄紺色ズボンはY体4号のズボンであり、その規格はウエスト76㌢、小売店で約3㌢詰められているので販売時には約73㌢だったと見られます。実測値が68~70㌢とすると、何らかの理由でさらに5~3㌢ほど縮んだことになります。どのみち、袴田さんには履けないズボンだったのです。
寸法札には「寸法4 色B」と記載されていたのでした。「寸法」は読み取れるのに、なぜ「色」の部分だけ判読不能になっていたのか、不思議です(「寸法」「色」の文字は不変であるため、同じ素材で印刷、「4」「B」は変動するため、別の素材で記載されたと思われる)。
実は、実況見分調書が作成されたのは、実際は9月4日ではなく、「色」であることが判明して以降の9月中旬ころではなかったか、と思われます。8月31日が撮影日とされる寸法札の写真自体も、実は9月中旬ではなかったのか。その間に、「色」の部分だけを読めないように何らかの工作をしたのではないでしょうか。
静岡地裁の再審開始決定で、ズボンを含めた「五点の衣類」全体の捏造が指摘されました。いずれにしても、実況見分調書に「型」と虚偽記載し、これを隠していた罪は重いのです。

(2) 2枚の緑色ブリーフ

袴田さんが事件前から緑色のブリーフを1枚持っていたことは袴田さん自身も認めていますし、会社の同僚も袴田さんが緑色のブリーフをはいているところを見たことがあると証言しています。では、「5点の衣類」の緑色ブリーフが、袴田さんが事件前からはいていた緑色ブリーフなのでしょうか。
実は「5点の衣類」が発見されたあと、袴田さんがもともと持っていた緑色ブリーフは袴田さんのお兄さんの家で保管されていることがわかりました。袴田さんが逮捕されたあと、従業員寮に残されていた袴田さんの私物は、会社の同僚によって袴田さんの実家にほとんど送り返されており、そのうちのいくつかの衣類は、袴田さんの家族が拘置所にいる袴田さんに差し入れていました。

緑色ブリーフについても袴田さんのお兄さんが差し入れようとしたのですが、当時の弁護人が色の付いたブリーフの差し入れに賛成しなかったため、結局差し入れずに持ち帰り、自分の家に保管していたのです。弁護団はもちろんこの緑色ブリーフを証拠として提出しましたが、裁判所は袴田さんの家族が袴田さんをかばうために嘘をついていると解してこの緑色ブリーフの証拠価値を全く認めませんでした。
控訴審では、袴田さんのお兄さんに助言した弁護人が当時のいきさつを公判で証言するべく自らを証人として取り調べるよう申請を行いましたが、裁判所はこれを認めず、確定判決の認定を追認しています。
以上のように、確定判決が袴田さんのものであると断定した鉄紺色ズボンと、その疑いが極めて濃厚であると認定した緑色ブリーフについても、裁判所の判断には重大な疑問が多々残されています。これら2点の衣類が袴田さんのものであることに疑義が生じるのであれば、それらと一緒の麻袋に入れられていたからと言って、他の3点の衣類が袴田さんのものであると推測することはできなくなり、結局「5点の衣類」が袴田さんのものであることは立証されていないということになります。

第4章 マスコミの犯罪 (冤罪を煽る新聞、テレビ等の報道)

当時の新聞

S41(1966).7.4(月) 中日 夕刊
清水の四人殺し 重要参考人に従業員    寮で血染めのシャツ発見

【清水】清水市横砂、こがね味噌専務橋本藤雄さん(四二)の一家四人が殺された事件について、清水署特捜本部は四日午前六時から、会社の工場、事務所、従業員寮を家宅捜索し、従業員寮の捜索で従業員某(三〇)の部屋から血のついたシャツをみつけた。同本部は某を事件のカギをにぎる重要参考人として調べている。

S41(1966).7.4(月) 毎日 夕刊
従業員「H」浮かぶ 清水の殺人放火   血ぞめのシャツを発見

【清水】六月三十日未明、静岡県清水市横砂、こがね味噌製造会社専務、橋本藤雄さん(四一)方で藤雄さんら家族四人が殺された強盗殺人放火事件清水署特別捜査本部は四日、同社製造係勤務、H(三〇)を有力容疑者とみて証拠固めをしている。

本部は事件当日、橋本さん方に残されていた雨ガッパ(同社が従業員に配布したもの)から、内部の事情にくわしい従業員の犯行とみて捜査していたが、四日午前六時、同社工場と事務室を捜索、工場のなかにある住込み従業員のHの部屋のタンスから血のついた半そでシャツを押収した。
Hは同日も平常どおり出社しているが、捜査本部の取調べは行なわれておらず、Hは周囲のふんいきから容疑者を察知している模様である。
Hの容疑が濃くなったのは①三十数人の作業員について事件当夜の行動を調べていたが、Hを除く他の従業員のアリバイが成立した。Hは事件前夜の六月二十九日夜は一人で部屋にいたといっている②Hの右手に新しいひっかき傷や切り傷がある③しばしば給料の前借りをしており金に困っていた、などの点である。
右手のひっかき傷や切り傷についてHは同僚に「ニ、三日前仕事でけがをした」といい、事件後、捜査官には「火事のときけがをした」と食い違ったいいわけをしていることも明らかになった。また目撃者の中には「火事のさいHらしい男が藤雄さんの土蔵の屋根の上に立っていた」と証言しているものもいる。
Hは同市内に妻と子供が住んでいるが、折り合いが悪く現在協議離婚の話が持ち上がっている。また女性関係が多く、給料の前借りもしばしばだった。しかし受けはよく非常にかわいがられており毎日、同家に食事にいき、藤雄さん方の事情にもくわしかった。

S41(1966).9.7(水) 東京 静岡版
ねばりの捜査にがい歌   清水の一家四人強殺
袴田の仮面はぐ    20日間にらみ合いの末

清水市横砂、こがね味噌会社専務、橋本藤雄さん(四二)の一家四人強盗殺人放火事件容疑者袴田巌(三〇)がついに犯行を自供した。逮捕されてから二十日目、しかも同会社、橋本藤作社長(六八)が死んだ日でもあった。最初からがん強に否認、態度もふだんとまったく変らない異常性格者だっただけに"自供は不可能"とみていた清水署捜査本部もほっとした表情。九日で切れる再拘置さらに起訴かどうかをめぐり捜査当局にも苦悩とあせりの色がみられたが、自供にこぎつけた陰には沢口金次清水署長をはじめ連日取り調べに当たった県警捜査一課松本久次郎警部、同岩本広夫警部補らの"必ず自供させる"というねばり強い信念が秘められている。事件にふれると完全に口をとざしてしまう袴田の態度にはまったく手を焼いた。三十分以上も沈黙のにらみ合いが続く神経戦には、ともすれば絶望の感が頭にひらめいた。また三度の食事を満足にとる袴田とは異なり係官は食欲不振にまでおちいった。しかし"いま自供させなくては……"という信念はついに自供へと結びついた。

S41(1966).11.16(水) 毎日 静岡版
ウソか真実か  袴田の全面否認  うす笑いも浮べ   初公判「私ではありません」

「わたしはなにもやっていません」―清水市横砂のこがね味噌専務、橋本藤雄さん(当時四十一才)一家四人を惨殺、放火した元同社住込み従業員、袴田巌(三〇)は十五日、静岡地裁石見裁判長係りで開かれた第一回公判でこともなげに犯行を否認した。事件発生から五十日間も世間をあざむいて工場に勤め、逮捕されてからも、のらりくらりと捜査陣を手こずらせた袴田は、こんども法廷で“全面的な否認劇”を演じて関係者をあっといわせた。袴田の否認は真実かデララメか―これからの公判がそれを証明するだろう。「予想された否認」とはいえ検察側はこれからの立証作戦を手直しする必要に迫られ、次回公判(来月九日)からは自白の任意性と証拠能力の価値判断をめぐって激しい争いを展開しそうだ。

マスコミの犯罪 (冤罪を煽る新聞、テレビ等の報道)

新聞テレビなどのマスコミは「自白の強要、証拠のねつ造」を批判的に報道することなく、そのシステムの重要な一端を担っているのです。これが大きな病弊と言わざるをえません。警察が被疑者を不当に追い込むばかりか、加えてマスコミ報道が嵩にかかって襲いかかります。
袴田事件では、「血染めのシャツ発見」とセンセーショナルな見出しが躍ったのですが、警察の誇大宣伝にのっただけのことでした。実際のシャツには小さなシミがあっただけ、シミの成分が血液かどうかもわからないものだったのです。しかし、新聞紙上では、「もうこれで犯人は決まり」とダメ押しです。記者は警察や検察の発表をそのまま、あるいはもっとセンセーショナルな記事にします。推定無罪の原則などどこ吹く風、まるで真犯人を血祭りに上げるかのように世論を煽り立てます。これも重大な人権蹂躙の犯罪、客観性を装っているだけタチが悪いと言わなければなりません。
被疑者逮捕となると、推定無罪の原則を投げ捨てて被疑者を真犯人扱いで大きく報道。これで犯人と決めつけられ、社会的に抹殺されるのです。一斉に警察の発表を裏付けなしでそのままニュースにします。捜査に疑問を挟むような報道は皆無。被疑者が自白でもしようなら、「よくやった捜査官」とばかり警察をほめたたえ、あたかも警察の広報のようになります。そればかりか、家族親戚、近所、過去現在の友人などに取材攻勢をかけて報道し、親戚家族までを社会的に葬りさろうという勢いです。
報道に接した人はみな被疑者を真犯人と思い込むように誘導されるのです。警察はその記事を被疑者に見せ、「もう観念しろ」と自白の強要に拍車をかけます。無罪を証明する有力な証人が、そんな雰囲気の中で被疑者に有利な証言を翻してしまうのも無理ならぬこと。「極悪人を助けるのか」と非難されてしまうからです。被疑者の家族は袋叩きにされ逃げ出すしかなくなります。

しかも、後から無罪判決が出ても、マスコミ報道は冤罪に加担したことを謝罪しません。反省もしません。これまで何度も、警察の広報と見間違うような報道を批判されてきています。でも、一向に変わらないのです。マスコミとは、本来的に人権の守護者のはずです。市民の立場から権力を監視するウオッチング・ドッグ、人権侵害があった場合には激しく警告を発するのが社会的役割です。権力側に寝返って国民を煽り立てるなどとは言語道断と言わざるをえません。もし、報道に正義が、人権思想があったならば、日本の司法は世界から立ち遅れてはいられなかったのではないでしょうか。冤罪事件の数も極端に減っていたに違いありません。
(続く)