半世紀にわたる事件の経過

事件は、1966年6月30日に静岡県清水市(現静岡市清水区)で発生しました。味噌製造会社の専務一家四人が殺され、さらに放火されるという惨劇でした。警察は強盗・殺人・放火事件として捜査を開始。一か月後、従業員だった袴田巖さんを逮捕。裁判では1968年9月11日静岡地裁が死刑判決を出しました。1976年5月18日 東京高裁が控訴を棄却。1980年12月12日、最高裁判所で死刑が確定しました。
犯人とされた袴田巖さんは、無実であるにもかかわらず死刑囚となった冤罪被害者です。警察の拷問に近い脅迫的な自白の強要(取り調べ)によって犯行を認める自白をさせられたものの、公判廷では無実を訴えてきたのです。死刑確定後も袴田さんは冤罪を訴えて、再審を請求、二度目の再審開始請求審。2014年3月27日、静岡地裁において死刑及び拘置の即日執行停止並びに裁判の再審を命じる歴史的決定が出されたのです。

再審開始決定は、こう喝破しています

「本件では、5点の衣類という最も重要な証拠が捜査機関によってねつ造された疑いが相当程度あり、その他にも自白調書のほとんどが任意性を否定されたり、清水郵便局で発見された紙幣入りの封筒もねつ造の疑いが払拭できないなど、捜査機関の違法、不当な捜査が存在し、又は疑われる。国家機関が個人を陥れ、45年以上にわたり身体を拘束しつづけたことになり、刑事司法の理念からは到底耐え難いことといわなければならない。・・・・・本件が4名の尊い命を奪うなどした極めて重大な事案であり、袴田に対して死刑判決が確定していることを考慮しても、袴田に対する拘置をこれ以上継続することは、耐え難いほど正義に反する状況にあると言わざるを得ない。一刻も早く袴田の身柄を解放すべきである。・・・・
したがって、本件については、再審を開始するとともに、刑事訴訟法448条2項により袴田に対する死刑及び拘置の執行を停止することとする。」

しかし、検察側は再審決定の棄却を求めて即時抗告、東京高裁で審理が始まりました。それから3年以上の年月がさらに経過。事件発生から半世紀を費やしても、未だに決着がついていない事件です。

袴田さんは冤罪被害者です

袴田巖さんは無実です。それどころか、冤罪被害者です。濡れ衣を着せられて逮捕、死刑宣告を受けて拘禁され、30歳で逮捕されてから48年間の獄中生活を強いられました。自由を極端に制限された監獄生活、正義が通用しないことへの絶望感に死刑執行への恐れが追い打ちをかけ、想像を絶する嵐が袴田さんを襲ったのでした。
ようやく再審決定とともに釈放されて帰ってきました。現在81歳、姉の秀子さん(84歳)と静岡県浜松市で暮らしています。しかし、穏やかで自由な暮らしが始まったものの、肉体と精神に受けたダメージは深刻です。釈放されて3年、受けた傷は徐々に回復してきているものの、簡単には治癒しません。今も身分は死刑囚のままで、受難の苦しみは変わらずに続いているのです。

一日も早く再審無罪を

今も冤罪を晴らすための再審が行われています。袴田さんを犯人とする証拠は捏造されたもの以外はありません。自白調書も、物証もすべて袴田さんと事件とを関係づけるものは何一つないのです。結局は無罪が不可避なのですが、検察は引き延ばし作戦で食い下がっているのが現状です。
袴田事件は、日本弁護士連合会が袴田事件弁護団を組織して取り組んでいる事件です。袴田さんを支援する人の輪は日本の各地から世界中に広がっています。国連が、EUが、世界が日本の刑事司法の試金石として注目しているのです。
私たちは、一日も早く再審を開始し無罪決定を出すことを裁判所に要求、国民の皆さんにも袴田さんへの支援を、正義が息を吹き返すことを訴えています。